Sweet Drops!
Dedicate to "Kiei Gotoh".

Written by 室井 大夢様


 年末も押し迫り、いよいよ冬本番といった感じの、今日この頃。
 しかし今日に限っては、まるで初春のような朝の日射しが、窓から差し込んでいる。
 その柔らかな光に包まれたマンションの一室では、先程から一人の青年が、「ドガガガガ」とマシンガンのようなけたたましい音を立てながら、キーボードを一心不乱に叩いている。
 徹夜でもしたのであろうか、赤く充血した目を盛んに瞬かせながら、身じろぎもせずモニターを凝視する。
 たまに日射しが視界に入る度に、自らの生体保護機能が過剰に反応して、重くなって来た目蓋を加速度的にさらに重くしていく。
(――多分ドラキュラが太陽を見た時って、こんな感じなんじゃろうなー)
 おぼろげながらそんな事を考えていた。
 青年はいったん掛けていた眼鏡を外すと、目頭を軽くマッサージしてひとつ息を吐いた。
「はぁ……」
 椅子が小さくギシッと音を立てる。
 そういえば身体を動かしたのは何時間ぶりだろう。軽く伸びをすると背中の筋肉がつりかかっていた。
(もう少しや。頑張ろう)
 そうして気を取り直すと、再び眼鏡を掛け直して作業に戻った。
 手は休む事を知らないかのように、キーボードの上を動き続け、青年は作業に没頭する。
 キーを激しく打ち鳴らし、目はモニターに映し出されたウィンドウの一点に集中する。何度もスクロールを繰り返し内容を吟味すると、ようやく満足したのかリターンキーを押して、この作業を終わらせた。
「第8章、修正完了っと……」
 右手をマウスに持ち替え、慣れた手付きで保存を開始する。続けざまにメールソフトに切り替えて、途中経過を知らせる連絡文を簡単に書くと、たった今保存したファイルを添付して、メールを送信した。
 指示を受けたパソコンが、ハードディスクにアクセスする間に噛み殺した欠伸をすると、彼は壁の時計に目をやった。
 ――もうすぐ午前9時。
「ふうっ、もうこんな時間か。スパート掛けんとヤバイな……」
 自らを奮い立たせるように、独り言を漏らす。
 すぐに次のファイルを開き、作業を続行しようとした……が。
 如何せん昨日からの徹夜作業で、脳の処理スピードが落ちて来ている。パワーセーブモードに切り替わってクロック5割減といったところか。
 身体が思うに任せない事を悟り、彼は作業の継続を断念した。
「――お茶でも飲んで、一息入れるか」
 そう呟くと、彼は数時間ぶりに椅子から立ち上がり、キッチンへと向かった。

              *      *      *

 青年の名前は後藤輝鋭。
 現在、新進気鋭のフリーのシナリオライターである。
 以前はサラリーマンをしていたが、趣味で書きためていた小説をインターネットで公開すると、その作品が一部のマニアの間で評判になり、後藤輝鋭の名前は口コミ(メール)で徐々に拡がっていった。
 その評判が、マニアから一般の人へと知られる頃になると、彼が予想だにしなかった事が起きた。美少女ゲーム業界最大手の「メイプル」からオファーが届き、新作のシナリオを書く事になったのだ。
 2年半前に発売された、輝鋭が最初に手掛けたパソコン用美少女ゲーム、「L⇔R〜木漏れ日の下で〜」は感動的なストーリーが評判となり、予想以上の大ヒット作となった。それがきっかけとなって、輝鋭はサラリーマン生活に別れを告げた。
 それ以来、年に2〜3本のペースでシナリオを書き下ろし、ゲーム専用機にも活動の場を拡げた。輝鋭がシナリオを手掛けたゲームはそのどれもがヒットした為、おかげで収入に余裕の出来た輝鋭は、今年の春にこの郊外のマンションへと引っ越して来たのである。
 賃貸ではあるが、1LDK+Sと独り住まいには十分広く、以前の間取りよりもはるかに使い勝手が良かった。周りの環境も素晴らしく、おかげで精神的に余裕を持つ事が出来て、のびのびと仕事が出来るようになった。
 だが、そんな輝鋭が昨日から徹夜で作業をしている。
 ……そう。原稿の締め切りがギリギリなのだ。
 新作のシナリオの初稿はもちろん、よりにもよって大人気だった処女作、「木漏れ日の下で」の続編、「流星の下で」のノベライズ版の最終締め切りが、今日の午後6時なのだ。
 前作は輝鋭の都合がつかずに、やむなく他の作家さんに書いてもらった。しかし、今回は補足しておきたいエピソードがあった為、どうしても自分の手で書きたかった。
 シナリオの方は、何とか昨日のうちに形をつけた。初稿だし、多少のミスがあったとしても、輝鋭とメイプルの関係が壊れる事はないだろう。しかし、小説の方はそうはいかない。初めて仕事をする相手だったし、何より大幅な加筆、修正が加えられて、原作以上に感動で泣ける話になったのだ。こんなに素晴らしい仕事をしたのに、最初からケチは付けられたくない――。
 その一心で、ひたすら頑張って来た。
 が……。
 何事にも限界というものが来る訳で……。
 ここ数日、睡眠3時間と云うハードスケジュールで突っ走って来たが、それでも間に合わずに昨日はとうとう徹夜だ。もう既に山場は通り越して、修羅場に突入している。
 ――そして今、現在。
 輝鋭はしぶしぶながら、休憩モードに入っていた。

              *      *      *

 キッチンに立った輝鋭はのろのろと、誰が見ても疲れ切っているのが分かるくらいにゆっくりなテンポで、お茶の準備を始めた。
 食器棚から耐熱ガラス製のティーポットと、お気に入りのシンプルなウエッジウッドのカップを取り出すと、カウンターの上に置く。そして棚の隣に置いてあるいくつかの缶の中から、ミントティーの缶を取り上げると、中からスプーン4杯分を取り出して、ポットの中に入れた。
 独り暮らしとはいえ、お茶の味に妥協はしたくなかった。美味しいお茶を入れるには、最低3人前を一度に入れる必要がある。かといって、一度にそんなに沢山飲む訳でもない。だからわざわざ沸かし直しがきく、耐熱ガラス製にしたのだ。最初の一杯さえ美味しければ、後は我慢出来る。
 今回選んだミントティーだって、本来ならばあまり飲まない種類だ。いつもであればこの時間は、オレンジペコかローズヒップを優雅に楽しんでいるところだが、今日ばかりは眠気覚ましの為、味のきついミントティーを選んだ。
 本当なら珈琲の方が良いのだろうが、どうも体質に合わないらしく、カフェインの利尿作用ばかりが働いて、トイレに頻繁に立つようになってしまう。それだけが目下の悩みだった。
 輝鋭は冷蔵庫からお茶の為だけに買った、スイス産のミネラルウオーターを取り出すと、合羽橋の店から買って来た、喫茶店でよく見る口の細いケトルに水を注ぎ込む。これを使った方が良い水流が出来て、茶葉が良く踊るからだ。
 ケトルをコンロに掛けて火を着けると、輝鋭はお湯が沸くまでの間、カウンターの椅子に座って頬杖を付きながらその様子をボーッと眺めていた。そんな時間があるのなら、少しでも仕事を進めておけばいいものだが、今の輝鋭の疲れ切った頭では、そこまでの判断力はなかった。

 先程まで輝鋭が行なっていた作業は、著者校正といって、出版社に原稿が渡される前の最終確認の作業だ。誤字脱字はないか、送り仮名は統一されているか、表現に不適切な部分がないか、意味の読み取れない文章はないか。そういう事をチェックするのだ。
 そのあとは、出版社がもう一度同じ作業を行ない、不具合が見つかればリテイクをくらう。OKが出たらレイアウト作業に回され、挿し絵が入れられて、製版へと送られる。これが輝鋭と出版社との間で行なう作業の一連の流れだ。
 それを原稿用紙650枚以上、文庫本で約300ページに渡って行なうのだから、大変な作業である。しかもミスが見つかったからといっても、最終なのだから締め切りが延びる訳でもない。発売は来年早々に決まっているのだ。
 ……修羅場になるのも無理はないだろう。
 それでもシナリオが上がっていた分、まだましな方だ。それまで書かなければならないとすると、単純計算で3倍以上の量になっていたからだ。最近のゲームはマルチストーリー、マルチエンディングが当たり前のように採用されている。いきおい、原稿の枚数もそれに合わせて、ねずみ算式に増えていくのだ。
 作業は先程までで、8章までが終了している。全10章だから、残りは2章分。しかし次の9章が全体の中で一番長い章であり、一番のクライマックスでもあった。しかも、濡れ場があるから文章の密度が一番濃い。だから少なく見積もって、残り30パーセント。原稿用紙で約180枚分は残っている計算だ。
「――ふうっ」
 先が見えて来たとはいえ、残り枚数のあまりの多さに、輝鋭は思わず溜め息をつく。
 しばらく待つとケトルがコポコポと音を出して、暖められた水が口から湯気を立て始めた。
 輝鋭はキッチンの中に入り、コンロの火を止める。そしてカウンターに戻って椅子に座ると、あらかじめ準備しておいたポットにお湯を注いで、透明な液体が色付いていくのをじっと見ていた。
 全て注ぎ終わると、まずは香りを確かめる。ミント独特のスーッとする感じが鼻をくすぐる。カップに注いで一口飲んでみると、予想に違わず味の強い渋めのミントティーが出来ていた。
 ――コン。コン。
 作業に戻ろうとして椅子から立ち上がった時、ベランダからガラスを叩く音が聞こえた。
 振り返ってみると、ベランダに女の子が立っていた。満面に笑みを浮かべながら、しきりに手を振っている。
 輝鋭は正直、またかと呆れながらも、女の子にお返しするように笑顔で答えた。
「どーぞぉ。開いてるよ!」
 返事を聞いた女の子は、勢い良くリビングのガラス戸を開けて、中へ入って来た。
「輝鋭クン、おっはよー!」
 元気良く挨拶すると、後ろ手で戸を閉めて輝鋭の側に駆け寄って来る。
 少女らしい、丸みの少ないスレンダーな身体に、ライトピンクのセーターと、ブルージーンズを着けている。跳ねるように走るたびに、肩までの髪を両サイドで纏めた三つ編みが、楽しそうに揺れていた。
 彼女は川本結花ちゃん。隣の3LDKの部屋に両親と住む小学校6年生だ。
 輝鋭が部屋の下見に来た時に敷地内で出会って、引っ越した時に隣同士だという事が分かると、お互い大いに驚いたものだった。そのあと、偶然外で会った時に話をしてみると、妙に相性が良かった為に懐かれてしまった。以来、輝鋭の部屋に頻繁に出入りしている。
「おっはよーじゃないって。ベランダは危ないから通ったらいかんって言うてるのに」
「だって、こっちの方が速いんだもん。それに楽々通れるから、大丈夫だよ」
 イエーイ。
 そんな感じでVサインを出しながら、結花は悪怯れもせずに答えた。

 ここのベランダは面白い形をしている。部屋の間の仕切り板の付いている部分が、前方に小さく扇形にせり出しているのだ。おかげで手摺の部分と仕切りとの間に、小学生なら楽に通り抜けられる隙間が出来ている。それでもちゃんと仕切りは機能していて、プライバシーは守られているので、実害は少ない。中には防犯上の問題を指摘する人もいたが、そんな人は稀だった。それに泥棒は、やると決めたら何があっても乗り越えるので、仕切りが全部付いていようが無かろうが、そう大差はないはずだ。
 実は輝鋭が気にしているのは、結花の通い道の事だけではない。
 口には出さないが、結花の言う、「輝鋭クン」という呼び方がいつも気に掛かるのだ。
 結花は年上を年上として認識していないフシがある。気に入った相性の良い相手だと、たとえ親戚の伯父さんであろうとも「クン」呼ばわりされてしまう。
 しかし結花にも常識は分かっているらしく、初対面の人や、そう親しくない人に対しては、ちゃんと「さん」付けで呼んでいる。実際「クン」付けなのは、クラスメイトの男の子を除くと、輝鋭を含めて片手で余るほどしかいない。だが最悪なのは、結花に徹底的に嫌われた場合だ。本人のいないところでは「あいつ」や「あのバカ」呼ばわりだし、本人を目の前にしても「あなたは……」と、強い口調で棘だらけの言葉を投げ付ける事がある。
 そんな事だから、本当はあまり気にしなくても良いのかも知れない。結花に気に入られているという証拠なのだから。
 だが、仕事では女子高生を登場人物にして、話を書いている輝鋭ではあるが、実は性的嗜好がロリコンだったりする。それも比較的、妹属性が高いという具合だ。だから本当は結花には、「お兄ちゃん」と甘い声で囁いて欲しかったりするのだ。本音の部分では……。

 輝鋭はしょうがないなといった感じで、頭をポリポリと掻きながら結花に尋ねた。
「それで、どうしたん今日は。学校は?」
「今日は土曜日だよ。学校はお休み。ねえ輝鋭クン、パソコン貸して?」
 輝鋭の腕にまとわり付きながら、甘えた声でお願いしてくる。危うくバランスを崩して、お茶をこぼしそうになった。輝鋭は慌てて姿勢を制御するとカップに口を付けて、中で波立つお茶を一口飲み込んだ。
 この仕事をしていると、一日中家にいる事が多い為、曜日感覚が分からなくなる事がたびたびある。特に今の輝鋭は、正常な思考回路が働きにくい状態だった。
「ええけど。何に使うん?」
「社会の授業の調べもの。グループ研究で、この地域の産業と歴史を発表するの。京都の学校とネットで交歓会をするんだよ」
「わあった。今ちょうど仕事で使っとるけぇ、サブの方でええよな?」
「わーい。ありがとう!」
 結花は一旦腕を離すと、今度は輝鋭の首に腕を絡めて、ぶら下がるように抱き着いて来た。
 ――ちゅっ。
 そして、お礼代わりの軽いキスを輝鋭の頬にした。そのまま輝鋭の頭を抱き締めるように密着する。少女特有の甘い香りと、膨らみかけた胸の柔らかさが、とても心地よく感じられた。
 ときどき結花は二人っきりの時に、こんなふうに恋人気取りの事をする。ロリータ好きの輝鋭にとっては願ってもない事だ。どんなに気持ちがウニの殻みたいに尖っていても、一発でメロメロ状態にされてしまう。だから結花に対しては、強く注意する事が出来ないのだ。
 数秒後、結花は一瞬の甘い抱擁を終わらせると、トンと軽い音を立てて床に舞い降りた。そして輝鋭の顔をじっと覗き込む。輝鋭は嬉しいような困ったような、良く分からない表情をしていた。
「目、赤いよ。徹夜したの?」
「うん。今日締め切りなんよ。……いけん、急がんと!」
 輝鋭は慌てて隣の部屋へと向かう。もちろん結花の事も忘れない。空いているもう一方の手で、結花の背中を優しく押していく。
 パソコンの前に立った輝鋭は、隣に置いてある旧型マシンのスイッチを入れて、起動させた。起ち上げを待つあいだ、結花と話をする。
「今日はこっちに来るって、パパやママに言うてあるんか?」
「うん。ママには言ってあるよ。――あっ、ママがね、『お昼ご飯、輝鋭クンと一緒に食べなさい』って、作っていってくれたよ」
 ワクワクしつつ、モニターのスタートアップ画面を凝視しながら結花が答えた。
 結花の家は共稼ぎだ。この不況下でも忙しいらしく、土曜日だというのに出勤している。
「そうか。嬉しいなぁ。あとで一緒に食べような?」
 輝鋭は、ポムポムと結花の頭を優しく撫でながら言った。
「うん!」
 結花が明るく返事したのと同時に、モニターにユーザー認証ダイアログが表示された。慣れた手付きで結花のユーザー名とパスワードを打ち込む輝鋭。
 輝鋭はプロフェッショナリズムの塊だった。旧型のサブマシンとはいえ、メインに何かあった時の事を考えて、中のハードディスクに同じものがバックアップされている。だから万が一盗まれでもしたら、新作の機密情報がばれてしまう事になる。その為にパスワード入力が起動の必須条件に設定してあるし、仲の良い結花にさえ、マルチユーザーモードにして、全てのファイルを見れないようにしている。
 ハードディスクがカリカリと軽く音を立て、モニターに結花専用の、アニメキャラクターの描かれたデスクトップが現れると、輝鋭は場所を結花に譲った。
 身体に比べて大き目の、クッションの効いた多機能椅子に喜んで飛び移ると、結花はウェブブラウザーを起動させた。あらかじめ調べておいたのか、スラスラとアドレスを打ち込むと、地元の観光案内などが載ったページに接続した。
 輝鋭はその様子を確認すると、自分の仕事へと戻った。テキストエディターで山場の第9章を開くと、頭から順に文章を追い掛ける。
 コピー&ペースト、カット&ペースト、検索と置換などを駆使して、文章を整形していく。ときどき顎に手を当てて考え込んでいるのは、文章を再構成しているからだろう。はっと目を見開いたかと思うと、にやりと口角を上げて笑い、カーソルをお目当ての所に持っていくと、マシンガンのごとくキーを叩き始める。
 結花はその様子を、隣で呆気に取られながら見ていた。いちおう結花は、輝鋭が仕事をしているところを何度も見ていたが、それはもっと余裕のある時の事だった。こんな修羅場の状況で、鬼気迫る表情でパソコンに向かう輝鋭を見るのは初めてだった。
「結花、どうかしたか?」
 口を半開きにして、目が点になっていた結花に気付いた輝鋭は、何ごともなかったように結花に聞いた。
「……あ、ゴメン、輝鋭クン。これプリントしたいんだけど……」
 そう言ってモニターを指差した。映し出されていたのは、役場が出している産業白書のページ。多種多様な業種が一覧表になっていた。
「ゴメンな、気ぃ付かなくて。ちょっと待っとき」
 そう言って立ち上がると、ワイヤーラックの一番上に置いてある、レーザープリンターの電源を入れた。輝鋭にとってちょうど良い高さにある為、小学生の結花には届かないのだ。電源投入後しばらくすると、内蔵された冷却ファンが回転を始め、ウォームアップフェイズが開始される。
「準備に1分ほど掛かるけん、それまで待ってな。プリントの仕方は分かるよな? 学校のとおんなじだから」「うん。ありがとう」
 結花の返事を聞いた輝鋭は、再び椅子に座ると作業の続きを始めた。何度も上下にスクロールを繰り返し、キーボードを叩く。
 その間に結花は、資料になりそうなページのプリントアウトを繰り返していた。
 結花の資料探しが一段落して、最後のページをプリントアウトしている頃、それまで順調だった輝鋭の動きが、ピタリと止まってしまった。先頭に戻っては文章を読み、戻っては読み、戻っては読みを繰り返す。そして、しばらく考え込んだかと思うと、ブルブルと肩を震わせて突然大きな声を上げた。
「しまったぁ! やっても〜たぁ!!」
「ど、どうしたの?」
 初めて聞く輝鋭の大声に目を丸くした結花は、びっくりしてつい輝鋭に尋ねてしまった。
「7章で張っておいた伏線を、消化させるの忘れとった!」
「ふくせん?」
 普通、小学生に伏線などと言っても、簡単に通じるはずもなく。それは結花にしても同じで、初めて聞いた言葉に小首を傾げて、不思議そうな表情をしていた。
 輝鋭はそれには一切気付かず、自分の作業に没頭していた。
 ぶつぶつと呟きながらスクロールを繰り返す。
(ここで女の子の気持ちに気付くと、ここからの心理描写が変わってくる訳やから、そうなるとここの主人公のセリフが……。ここも……。ここも。ここも! ――となると、ここの状況説明文が、全然合わんようになって……)
「ぐわぁ〜! いかん、9章前半の半分以上がやり直しや!」
 慌てて7章のファイルを開くと、該当する伏線の部分を探し出す。そしてその文章を何度も反芻すると、頭の中で構成を練り直す。
「よっしゃぁ!」
 一発気合いを入れなおすと、カップに残っていた大量のお茶を一気に飲み干した。そして、そのカップを隣の結花に差し出す。
「結花! 悪いけど、お茶入れて来てくれ!」
「うん!」
 カップを受け取った結花は、椅子から飛び下りると、キッチンに向かって駆け出していった。
 輝鋭は指をポキポキ鳴らし、キーボードに手を添えると、息を深く吸い込んで大きく吐き出した。そしておもむろに口を開けると、思いっきり奥歯を噛み締める。
「加速装〜置!」
 最終兵器を発動した輝鋭は、鬼神のごときスピードで文章を紡ぎ出していく。大幅に体力を消耗する技なので、本来ならば使いたくはなかったのだが、事態がここまで切迫するとしょうがない。タイピングスピードはマシンガンを超え、バルカン砲にまで達していた。
 結花がお茶をこぼさないように、抜き足差し足で戻って来た時には、既に修正部分の6分の1が埋まっていた。
「はい、お茶!」
「うん。サンキュー!」
 結花から笑顔で差し出されたカップを受け取ると、二口ばかり飲み込んでからモニターの隣に置く。
「うおりゃ〜っ!」
 結花の笑顔で気合いが倍増した輝鋭は、一心不乱にキーボードと格闘する。その姿はまるで、世界一難しい曲といわれる、「ラ・カンパネラ」を弾いている時のピアニストにそっくりだった。
 輝鋭が指を動かすたびに、ウィンドウ内にズラッと並んだ改行コードだけの部分が、徐々に漢字、平仮名、片仮名、数字で埋め尽くされていく。あっという間に修正部分の残りが4分の1になった。
 しかし、ここまで来て予想された事態が起きてしまった。輝鋭の体力が底を尽きそうなのだ。もう胸のカラータイマーが、赤く点滅を始めている。キーを叩くスピードも、目に見えて落ちて来ている。
「ぐうぅ……。なにくそぉ……」
 それでも踏ん張って執筆を続ける輝鋭。へろへろになりながらも、何とか残り8分の1まで辿り着いた。
 そしてスピードが、初心者なみの五月雨になった頃、ようやく前半の加筆修正分が仕上がった。
 だが安心してはいられない。このあと後半部分と、最後の第10章が待っているのだ。ありったけの気力を振り絞り、何とか手を付けようとするが、もはや無駄な足掻きだった。
「……あのさ、輝鋭クン。少し休んだら?」
 見かねた結花が輝鋭に声を掛けた。
 これ以上やっても、能率は上がんないだろうし。どうせ、もうすぐお昼なんだからさ。それまで寝てたら? お昼になったら、ワタシが起こしてあげるから――。赤ちゃんをあやす時みたいに、輝鋭の頭を優しく撫でながらそう言った。
 輝鋭は、おぼろげながら結花の言葉を理解すると、壁に掛かった時計を確認する。
 ――11時とんで2分。
 とうとう輝鋭は睡魔の誘惑に勝てなかった。ひとつ溜め息をつくと、結花の方へ顔を向ける。
「じゃあ、悪いけど起こしてくれるか?」
「まかせて!」
 結花は自信たっぷりに、胸をポンと叩いてみせた。
 輝鋭は結花に向かって力なく笑顔を見せると、ファイルを一旦保存して椅子から立ち上がる。そして部屋の反対側にあるベッドに、ふらふらした足取りで辿り着くと、ゴロンと仰向けに倒れ込んだ。
「おやすみ……」
 一言そう言い残すと、輝鋭は一瞬にして、深い眠りに引きずり込まれていった。

              *      *      *

 輝鋭は闇の中、何かに追われていた。
 背中から得体の知れないものの気配が、群れをなして近付いてくる。それは時間を追うごとに数を増やし、どんどんと膨れ上がっていく。輝鋭の額と背中には、冷たい汗が流れていた。
 輝鋭は逃げるしかなかった。逃げて、逃げて、逃げまくって。もがいて、もがいて、もがきまくって。これ以上はないというスピードで逃走するしかなかった。
 背中に感じる気配が、少しずつ小さくなっていくのを感じた時、輝鋭はようやく安堵の表情を浮かべた。
(……これで逃げ切れる)
 そう思った瞬間。突然、目の前にRPGのラスボスぐらいの大きさの物体が、姿を現した。薄暗い中、目を凝らして良く見ると。
『……んげっ!』
 ――それは時計だった。
 有名な「サルバドール・ダリ」の描くような時計。
 ピザの上に載ったチーズが、溶けて垂れ下がっているようなあの時計だ。ぐるぐると激しく針を回転させ、グニャグニャと形を変えながら、輝鋭に近付いてくる。周りからはそれの小型版が、カマキリの巣立ちの時みたいに、わらわらと湧いて出て来た。
『う、うわあぁ〜っ!』
 声にならない悲鳴を上げて、何とか逃げ延びようと周りを見渡す。
 その時、上空から一筋の明るい光が差し込んで来た。同時に神の啓示のような、暖かで優しい声が聞こてくる。輝鋭はその声の主を天使だと思った。

『……クン、起きて。輝鋭クン時間だよ、起きて!』
「――んぁ……」
 目を開けるとそこには結花の顔があった。寝ぼけ眼で確かめると、結花は輝鋭のお腹の上に座って肩を揺すっていた。最近流行りの言葉でいう、マウントポジションだ。
「うふっ、おはよう……」
 結花は優しく微笑んで輝鋭に顔を近付けると、そっと唇にキスをした。そのまま輝鋭の口に舌を割り入れてくる。結花のキスは甘酸っぱい、レモンの味がした。
 ようやく輝鋭の思考回路が正常に戻り、事態を正確に認識すると、慌てて結花を引き剥がして、ベッドから飛び起きた。
「きゃっ!」
 輝鋭のこのような行動は、予想していなかったのだろう。結花は小さく悲鳴を上げると、ベッドの上に座り込んで、頬を軽く膨らませていた。
「んもう、何するの?」
「それはこっちのセリフじゃい。いきなりキスするなんて……それも大人のキスを!」
 輝鋭の言葉を聞いて、結花はクスクスと笑いながら、勝ち誇ったような顔を見せる。
「おはようのキスだよ。それに資料ならそこにあるし……」
 そう言ってベッドの横にある、扉付きの大きな本棚を指差した。結花の差し示す方向を見た輝鋭は、これ以上ないほど大袈裟に頭を抱えた。
「あいた……」
 本棚の中には、輝鋭が仕事で使う資料が山のように入っている。他人がシナリオを書いたゲーム、エッチな小説・マンガ・AV・雑誌・写真集・自分用のロリータもの、エトセトラ、エトセトラ……。つまりそれらの資料を駆使して、結花は実践したという事だ。
「あんまり勝手に覗くんじゃないぞ」
「じゃあ、断わってからなら良いのね?」
「ちぃがぁ〜うぅ!」
 輝鋭は完全に結花にからかわれていた。いい大人が小学生に手玉に取られるのは、普通ならプライドが許さないところだが、輝鋭の場合はロリコンで、しかも、もろストライクゾーンの結花にキスまでされたのだ。骨抜きになるのは当然だった。
 結花はベッドから飛び下りると、肩を落として佇む輝鋭のもとに駆け寄り、そのまま身体に抱き着いた。
「ねえ、嬉しかった?」
「うっ……そ、それは、そうだけど……」
 言い淀んで口に手を当てる。口の中には、未だに結花のキスの味が残っていた。甘酸っぱいレモン味。しかしこの味は、どうも不自然な感じがする。
「結花。もしかして何か食べてた?」
「うん。家に戻った時にドロップをね!」
 輝鋭の胸に顔を埋めながら、視線でキッチンの方を指し示す。輝鋭が身体をくるりと向けると、テーブルの上には、楕円形の缶に入ったドロップが置いてあった。その隣には、見た事のない炊飯器。
「あれは?」
「家から持って来たんだよ。輝鋭クンち、ご飯炊いてなかったから」
「まさか! ベランダから?」
「ちがうよぉ。ちゃんと玄関から入って来たよ。あんなの持って通れないもん」
 輝鋭はホッとして、よく出来ましたというふうに、結花の頭をポムポムと撫でた。
「ご飯、すぐ準備出来るけど……食べる?」
「う〜ん。その前にさっとシャワー浴びてくるわ。15分待って」
「うん。その間に支度しておくね」
 そう言うと結花は輝鋭から離れて、トテトテと小走りにキッチンに向かう。その様子を微笑ましく眺めたあと、輝鋭はクローゼットからバスタオルと替えの下着を取り出すと、そのままバスルームへと入っていった。

              *      *      *

 昼食後の輝鋭は体力が回復していた。――と言ってもフル充電までは出来ていない。家電製品によくある、仮充電という状態が近いだろう。出荷時に動作確認の為、少しだけ充電するというやつだ。
 だから下手をするとエネルギーを使い切って、すぐにガス欠状態になりかねない。
 輝鋭は慎重に、ペース配分を考えて作業していた。
(2時半までに9章を終わらせると、残りの10章は短いから、4時までには終わるな)
「よし、いけるぞ!」
 時間配分の計算を終わらせた輝鋭の前には、前途洋々とした道が開けていた。もう焦る事はない。タイピングスピードもマシンガンから3点バーストに切り替えて、体力温存モードになっていた。
「お茶、入れて来たよ!」
 後片付けを終えた結花が、気を利かせて食後のお茶を入れて来てくれた。ちょうど飲みたいと思ったところだった。立ち上る香りはアールグレイ。どうやら一から入れ直してくれたようだ。昼下がりに飲むには、ピッタリの種類だ。結花は出入りしているうちに、輝鋭の嗜好を完璧に覚えてしまったらしい。
「おおっ、気が利くな。サンキュー!」
 笑顔でカップを受け取ると、結花を抱き寄せて唇に軽くキスをする。一度してしまえば、二度も三度も同じ事。輝鋭はそう思って、挨拶程度の軽い気持ちでしたのだ。
 結花は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに真っ赤になって俯いてしまった。どうやら自分でする分には良いが、相手からされるとすごく照れるらしい。
「あ……あのね、輝鋭クン」
 俯いたまま、身体をもじもじと捩らせながら、結花が口を開いた。
「なに、どないした?」
「ワタシ、炊飯器持ってかなきゃなんないから、一度家に帰るね」
「そっか……ありがとな。気ィつけるんだぞ」
 輝鋭は小さい子にでもするように、結花の頭をいい子いい子しながら言った。
 結花はコクンと頷くと、踵を返してキッチンへと向かった。そして炊飯器と、スーパーの袋に入れたお皿を抱えると、よたよたしながら玄関から出ていった。
 輝鋭は無事に結花が出て行くのを確認すると、再び作業に没頭する。
 何度も文章を読み返して、話の流れや描写に破綻が生じていないか、チェックする。大掛かりな修正をしたあとだから、所々におかしな部分が出て来ているが、それとて前半部分の比ではない。次々と修正を掛け、一つ一つ順調に潰していく。
 ようやくクライマックスの部分に辿り着いた時、輝鋭の指がぱたっと止まった。
 主人公の気持ちの説明文が、どうもしっくりこないのだ。違う単語を当てはめては合わないから消し、違う文脈に書き換えてみては気に入らないから消し。これを繰り返しているうちに、堂々回りになってしまい、どれが良いのか分からなくなってしまったのだった。
 輝鋭が集中して思案していると、背後から黒い影がぬっと飛び出した。結花が帰って来たのだ。輝鋭に気付かれないように、そっと玄関から中に入り、輝鋭の後ろに回り込むと、首に抱き着くように出現した。
「うわっ、結花!」
「えへへっ、驚いた?」
「心臓が止まるかと思うたじゃろうが!」
 輝鋭が巻き付いた結花の手を剥がしながら答えると、結花は満足そうに笑っていた。そして前の方に回り込むと、輝鋭の腿の上にちょこんと座り、背中を輝鋭の身体に預けて来た。
「ちょ、ちょっと……結花!」
 輝鋭は慌てていた。結花が甘えたがるのはいつもの事だが、今日はいつにも増して密着したがっている。それにこの格好はどう見ても、まるで背面座位じゃないか……。
 輝鋭がどうしようかとオロオロしていると、調子にのった結花はモニターを見ながら、打ち込まれた文章を読み上げ始めた。
「……が……の……を、したで…めあげると、……の……は、あいえきを……」
「だあぁ〜っ! やめいっ!!」
 慌てて結花の行動を制止させる。この時ばかりは、物書きの仕事で良かったと思った。文章読解力は基礎学力に比例する。18禁の作品を仕事にしている輝鋭には、分かりやすい文章かもしれないが、小学生の結花にとっては、見た事もない漢字や表現が使われていて、飛ばし飛ばしで読むしかなかったからだ。マンガではこうはいかない。
「愛液だって。エロエロだね〜」
「だから、やめいって……えっ! 結花、知ってんの?」
 驚いた。まさか小学生の結花が、愛液の意味を知ってるなんて。
「知ってるよ! 輝鋭クンの仕事が、エッチな話を書く事だって事も。エッチの仕方だって知ってるんだから」
 結花は得意満面で答える。続けざまに「ちなみに参考資料はあれね」と指を差して言った。その先にあるのは先程の本棚。
 輝鋭は愕然として肩を落とした。そうだった。あの中には、マンガも入っているんだった。間接的にとはいえ、輝鋭は結花に対して、大人の性教育を施した事になるのだ。それも少々歪んだ形のものを。
 だが、今日の休憩の間だけで読破出来るほど、輝鋭の資料は少なくはない。という事は、以前から輝鋭の目を盗んで見ていたって事なのだ。同時に自分の趣味が、対象である結花にばれていたという事でもある。
 輝鋭は諦めにも似た境地になっていた。
「分かった……。お願いだから、大人しくしててな」
 力なく言うと、結花の腋の下を両手で抱えて、下に降ろした。その時に指先が結花の胸に軽く触れた。
「いやん。輝鋭クンのエッチ!」
 軽く頬を膨らませながら、可愛く拗ねたように言う結花。
「そうや。オレはエッチなんだよ〜だ!」
 輝鋭は開き直って答えた。もう、開き直って作業を続けるしかなかった。ペース配分も何もあったもんじゃない。マシンガンキータイプが復活し、さっきまで長時間悩んでいた部分が、あっさりと埋め込まれていく。そのあとも、流れるように作業は続いていった。
 結花はキッチンに行ってドロップを取ってくると、ドロップを舐めながら隣の椅子に座って、なぜかうっとりした表情で輝鋭を眺めていた。
 だが順調だったのはここまでだった。時間が経ってくると、ペースが狂ったのが祟ったのと、食事を取ってお腹が膨れたのが影響して、猛烈な勢いで睡魔が復活して来たのだ。やはり充電は十分ではなかったのだ。
 それから30分後。輝鋭は欠伸をかみ殺しながら何とか耐えていたが、9章の修正が完了する頃には、睡魔が最大の力をもって輝鋭に襲い掛かって来た。
 メールに修正が完了したファイルを添付して、送信ボタンを押したところで、輝鋭はとうとう耐え切れなくなって大きな欠伸をした。
「ふあぁ〜あ……」
「――眠いの?」
 心配そうに結花が聞いてくる。
「ん? ああ。食欲を満たしたら、また睡眠欲が復活して来た。マズイな……」
 眠そうに目を擦りながら、輝鋭は答えた。なんとか紛らわす方法はないものかと、あれこれ考えを巡らせる。輝鋭が答えを見つけられずにいると、横にいた結花が口を開いた。
「運動でもしたら? 身体を動かすと目が覚めるって言うし」
「う〜ん。そやな、そうするか」
 少し身体を動かしてリフレッシュしたら、今より状況は良くなるだろう。それならば、今時間をロスしても、すぐに取り返せるから問題はないはずだ。
 そう考えた輝鋭は、結花の提案に乗る事にした。キーボードから手を離し、大きく伸びをしていると、結花が椅子から降りて輝鋭の側に寄って来た。そして輝鋭の肩に手を置くと、耳元で囁くように言った。
「じゃあさ、エッチしようか……?」
「――!」
 驚いた輝鋭は、思わず後ずさってしまった。
(な、な、なんじゃと!)
 どうして、いきなりそんな言葉が出てくるのか。結花に聞こうとしても、声として出てくる事はなかった。目を白黒させて、顎をカクカクと揺するばかりだった。
「エッチってものすごく運動するって描いてあったし……」
「……」
「輝鋭クン、イヤ? ワタシの事キライ?」
「う……。いやとか嫌いとか、そんな事やなくて……」
 やっと出て来た言葉が、こんなしどろもどろしたものだから、当然結花は納得するはずもない。
「じゃあ、どうしてさっきキスしてくれたの? ワタシ、嬉しかったのに……」
「いや。それは、だって……」
 ――だって結花が最初にした事だし。
 そう言おうとしたが、輝鋭にはその言葉が言えなかった。輝鋭の方から結花にキスした時、結花がどうしてあんな態度をとったのか、閃いたように分かったからだ。
 結花は輝鋭の事が好きだった。だが、肝心の輝鋭の気持ちが分からなかった。わざと甘えてみても、まるで兄のように優しくするだけで、結花の事を異性として意識しているのかは、確認出来なかった。
 しかし今日、結花は答えを知る事が出来た。輝鋭は自分の意志でキスしてくれたのだ。それは結花の事が好きだという証拠に他ならない。だから結花は、思い切って行動に出たのだ。好きな者同士が、お互いの意識を確かめ合う行為を、当然の事として……。
「ワタシ、輝鋭クンの事が好きなんだよ。ほら!」
 そう言って輝鋭の手を取ると、結花は自分の胸にその手を押し当てた。
 ――トク。トク。トク……。
 緊張しているのか、結花の鼓動は随分速かった。
「知ってた? 輝鋭クンの事を考えるだけで、こんなになるんだよ。だから……」
 結花は耳まで真っ赤にしながらそこまで言うと、あとは口をつぐんだ。
 輝鋭は自分を恥じた。いたいけな少女に、ここまでさせてしまった事を――。
 いつも自分は受け身だった。結花が甘えてくるのを喜んで受け入れるのに、自分からは行動しようとは思わなかった。道義的問題や法律というのが、ストッパーになっていたのかもしれないが、しかし、「好き」という気持ちの前には、それは些細な事かもしれない。
 そう考えた輝鋭は、ひとつ息を吐くと結花に向かって言った。
「オレだって、結花が好きだ。エッチしたい思った。……じゃけど今は……」
 ――今は時間がない。
 そう。今の輝鋭には、絶対的な時間が足りないのだ!
 輝鋭が言い淀んだ事で、結花はこれ以上ない焦れったさを感じていた。イライラした気持ちをストレートに輝鋭にぶつけてくる。
「んもう。ハッキリして! 今日しなかったら、ワタシもう絶対しないからね。ここにも二度と来ない! どうするの?」
 輝鋭は大いに慌てた。こんなチャンスは滅多に来ない。しかも、お互いの気持ちを確かめ合ったのに、これっきり二度と会わなくなるかも知れないのだ。
 ――仕事を取るか、結花を取るか。
 無言で考えていた輝鋭に対して、結花はもう一度問いただす。
「ねえ、どうするの?」
 これが結花からの最後通牒。
 輝鋭は結花を取った場合の状況を考えた。さっきは30分前倒しが出来たから、上手くいけば、ギリギリ6時には間に合うかもしれない。あとで修羅場になるかもしれないけれど。
 それに結花を失いたくないし……。
 ――チャンスの女神には、前髪しか生えていない。
 そんな言葉を思い出していた。
「本当に、オレでいいんか?」
 その言葉を聞いた結花は、笑顔なのか泣いているのか、よく分からない表情を浮かべて、輝鋭の胸に飛び込んで来た。
「当たり前じゃない。輝鋭クン以外に考えられないよ! ワタシの初めて、受け取ってね!」
「ありがとう。分かった」
 椅子から立ち上がると、結花を抱きかかえてベッドへと向かう。結花は輝鋭の首に腕を回すと、上気した顔で輝鋭を見つめていた。
 そっと結花をベッドの上に寝かせると、輝鋭は眼鏡を外してベッドの脇に置く。そして結花を押しつぶさないように肘を着きながら、その上に覆い被さるようにした。お互いの顔をじっくりと見つめ合ったあと、どちらからともなくキスをする。
 ――ちゅっ。ちゅぱ。ぴちゃ。ちゅぷ。
 舌を絡ませあい、口の中を刺激しあう。お互いの唾液が交換され、口の中に溜まっていくそれを、ゴクゴクと飲み下していく。
 結花のキスはまた味が変わっていた。――今度はメロン味だ。直前に食べていたドロップの味だろう。
 輝鋭はそれを味わい尽くすように、貪るようなキスを続ける。
「ん……、むう……、ふぁっ……」
 結花は恍惚とした表情を浮かべながら、甘い声を漏らす。ようやく長いキスが終わると、結花の瞳は濡れて、キラキラと光っていた。
「結花……。泣いてんのか?」
「ううん。やっと輝鋭クンと一つになれると思ったら、嬉しくって」
 結花は小さく、しかし最大限に優しい笑顔を浮かべて答えた。輝鋭はそんな結花がいじらしくなって、胸の奥が締め付けられるような感じがした。
 結花の顔に右手を近付けると、親指を使ってそっと涙を拭いてあげる。
「うふふ……」
「ははは……」
 二人同時に小さく笑うと、結花が輝鋭の首に腕を巻き付け、ぐいっと自分の方に引き寄せる。それが本格的な開始の合図になった。
 輝鋭は結花の顔中にキスの雨を降らせ、右手を結花の顔から徐々に下へと下げていく。
 首、肩、腕……。腰から一旦柔らかく上下動するお腹に手を置くと、しばらく結花の呼吸を感じていた。そしてゆっくりと上に上がると、ようやく柔らかさの出て来た小さな丘の上に乗せた。そのまま優しく揉み始める。
「あんっ……。輝鋭クン、痛いよ」
「ゴ、ゴメン!」
 成長途中の結花の胸は、快感よりも痛さの方がより勝るのだろう。不満そうに可愛く頬を膨らますと、輝鋭の顔をじっと見つめていた。
 輝鋭はそっと触る程度にして、ゆっくりと手を動かした。そして再び唇にキスをする。
「んむ、うぁ……」
 どうやらキスは少しは感じるらしい。輝鋭は結花に対して、快感を与える事で幸せを感じていた。だからもっと……もっと結花に快感を与えようと思った。
 輝鋭が唇を離すと、既に結花の呼吸は大きく乱れていた。
「脱がすぞ?」
「ん……」
 確認するように言うと、結花は小さく頷いた。輝鋭はセーターの裾を摘むと、ゆっくりと上に捲りあげる。結花の滑らかで白いお腹が直接見えた。結花は下にシャツを着ていなかった。そのままセーターを脱がせていくと、胸に着けている下着が見えた。白いコットンのハーフトップ。ネット上の写真では見たことがあったが、着用した実物を見るのは初めてだった。
「結花。お前、シャツ着てなかったの?」
「うん。後片付けに帰った時に、脱いできちゃった」
 ペロッと舌を出して可愛く笑う。下着の上に直接セーターを着るのは、大人の女性のファッションだ。子供の結花がすると、相当寒いだろうに。
「――最初からエッチするつもりやったな?」
「めっ!」という感じで窘めるように言うと、結花はそれを無視して笑顔で答えた。
「だって……輝鋭クンの事が、だぁ〜い好きだもん!」
 その答えが嬉しくて、輝鋭はお礼にちょこんとキスをする。そしてジーンズに手をかけると、それも一気に脱がした。下から出て来たのはサックスブルーのショーツ。子供らしい、飾り気の少ないものだった。
 そこまでくると一旦結花から離れて、輝鋭も服を脱いで下着だけになった。
 そして再び結花と身体を合わせると、首筋に舌を這わせていく。お腹の上に手を置いて、スベスベした皮膚の感触を堪能したあと、上へと滑らせてもう一度胸を触る。
「んっ……。やぁっ……」
 くすぐったいのか、感じているのか、良く分からない反応を返す結花。それを確認する為に、ハーフトップを脱がせてみる。小さく膨らんだ結花の胸が、白日のもとに曝された。それはまるで、まな板の上にお饅頭が2つ乗ったような、可愛い膨らみだった。その頂上には色が少し濃くなり始めた、ピンク色の小さな突起があった。
 輝鋭はその胸に狙いを定めた。麓から稜線に沿って、舌を這わせていく。頂上に到達すると、小さく縮こまったそれを舌先で転がし、口に含んで吸い付いた。
「あんっ、いやっ……」
 結花が快感を感じたような反応をする。輝鋭にもそれがはっきりと分かった。陥没気味だった乳首が、口の中で徐々に立ち上がり、固くなって来たのだ。輝鋭はさらに快感を与えようと、手を下の方へと滑らせる。お臍を越えたところで、指先に柔らかなコットンの感触が伝わってくる。
 さらに進むと指先が小さな丘を越え、目的の谷間の場所へと辿り着いた。
「きゃふっ。うっく……ああんっ!」
 結花が濡れた甘い声を漏らす。輝鋭が探り当てたその場所は、予想以上の反応を示していた。谷と密着したクロッチの部分が、すでに湿っていたのだ。
「結花。濡れてる……?」
「……うん。言ったじゃない、エッチな事も知ってるって。輝鋭クンの事考えながら、独りでしてたんだよ、ずっと……」
 結花の言葉を聞いて、輝鋭は嬉しさと同時に責任を感じていた。望むと望まざるに関わらず、結花に年齢不相応な性知識を与え、独りでオナニーをするまでにさせてしまったのは、自分なのだと。ならば自分は結花に対して、最後まで責任を果たさなければならないだろう。
 輝鋭はショーツに手を掛けて、結花の顔を見た。
 結花は輝鋭の視線に気がつくと、コクリと頷き、お尻を軽く持ち上げる。
 するするとショーツを剥ぎ取ると、輝鋭の目に結花の秘密の部分が飛び込んで来た。
 淡くピンク色に染まったそこは、つるつるの無毛で、真ん中に一本、少し開きかかった可愛いスリットが見えるだけだ。結花の身体は、何もかもが輝鋭の理想通りだった。
「足、開いて?」
「……うん」
 おずおずと身体を震わせながら、輝鋭の言う通りに足を広げていく結花。M字形が完成した時には、スリットの下の小さな蕾までが露になった。
「触るよ?」
 輝鋭が確認すると、結花は小さく頷いた。
 丘の横に指をあてがい、スリットを左右に割り広げる。中から隠れていた小さな突起と、濡れて光る秘密の受け入れ口が現れた。その秘密の口からは、開けた瞬間に小さな雫が流れ出して来ている。
(もう、こんなに……)
 輝鋭は結花が愛おしくなって、溢れ出した雫を舌で受け止めた。
 ――ジュルル。ピチャ、チャプ……。
「あっ、イヤッ……ダ、ダメッ!」
 結花は首を横に振りながら、激しく身悶える。口では否定しながらも、手で輝鋭の頭を掴んで、自分の敏感な部分へと押し付ける。結花の意志がOKである事を読み取った輝鋭は、さらに舌で全体を舐め上げていく。割れ目をなぞり、上の方にちょこんと顔を出した突起を、舌でくすぐる。
「あっ、いい……。輝鋭クンすごくいいっ」
 うねりのような快感を感じている結花からは、甘い蜜が止めどもなく溢れ出してくる。その全てを受け止めた輝鋭は、頃合いを見計らって、結花の腟内に指を差し入れた。
 ――にゅぷ。くちゅ……。ズズズ……。
 大きな抵抗もなく、輝鋭の指が飲み込まれていく。
「うっ……くうう……」
 やはり結花が自分で開発した為であろう。結花の大切なところは、あっさりと輝鋭の指を受け入れた。第一関節のあたりまで挿入すると、指先にゴムパッキンのような弾力を感じた。
(――処女膜だ……!)
 結花が自分で言っていた、「初めて」は本当だったのだ。
 指をそのあたりで小さく出し入れしながら、舌先で突起を何度も突つく。結花の腟壁は律動を始めて、輝鋭の指を強く締め付ける。
「あっ、ダメッ輝鋭クン! だっ……めぇ〜!」
 結花は身体を震わせながら、グイッと腰を浮かせた。そして一気に脱力すると、ベッドに深く沈み込んだ。軽くイッてしまったらしい――。
 結花はハアハアと息を荒気て呼吸し、胸を激しく上下させている。
 輝鋭は下着を脱ぐと、結花の上に重なって顔を覗き込んだ。
「挿入るよ?」
「……うん」
 紅潮して、うっすらと汗をかいた顔で答えると、輝鋭の首筋に噛り付くように抱き着いて来る。
 輝鋭は自分のモノに手をあてがうと、先端に結花の愛液を塗り付けるように押し当てる。そして、そのまま狙いを定めて、腰を押し込んだ。
 ――ズリッ。
 入口が狭いからか輝鋭のモノは上滑りをすると、スリットに沿って駆け上がり、中の敏感な突起の部分を激しく擦り上げた。
「ひぃあっ……。輝鋭クン、それ……気持ち良いかも……」
「ゴメン。もう一回な?」
 今度は場所を確認すると、粘土に指を押し込む時みたいに、ゆっくりと力を加えていく。先端が結花の隘路を押し広げ、徐々に腟内へと埋まっていく。
「あっ……、いっ……!」
 痛みに耐えているのか、輝鋭の首に巻かれた結花の手に力がこもる。
 笠の部分が埋め込まれると、結花の腟内は内圧が高まり、異物を押し戻そうと活動を始める。輝鋭はそれに負けないように、少しずつ腰に力を込めて、己の分身をゆっくりと割り入れていく。
 先端から3分の1が埋まったところで、押し返すような弾力に当たった。もう一押しすれば、結花の初めての男になる。そんな嬉しさで輝鋭の心はいっぱいだった。
 結花は何とか痛みを紛らわそうと、大きく呼吸していた。何度も吸って吐いてを繰り返すと、ようやく慣れて落ち着いて来たみたいだった。
「いくぞ? 吸って〜。吐いて〜」
 ――スウゥ〜。ハアァ〜。
 結花が輝鋭の言葉に合わせて深く呼吸する。大きく息を吐き切ったところを捕らえて、輝鋭は一気に腰を押し込んだ。
「ぐうぅっ……」
 プチッとゴムが弾けるような感覚が来たあとに、コリッとした固いものが先端に当たって止まった。同時に衝撃の為、結花の内壁が輝鋭のモノを絞り上げていく。
 結花の膣は輝鋭のモノを、3分の2だけ飲み込んだところでいっぱいだった。それでも初めてで締め付けが強い為か、得られる快感は、百戦錬磨の女性と比べても遜色はなかった。
「結花。入ったよ?」
「……嬉しい。これでワタシ、輝鋭クンのものになったのね?」
 結花は涙を流しながら答えた。それが痛みによるものなのか、嬉しさの為なのかは輝鋭には知る由もない。ただ愛おしさだけが込み上げて、輝鋭の胸は一杯になった。
 輝鋭は結花のおでこにキスすると、続けて目の周りに流れた涙を舐めた。塩っぱくて甘い、何とも不思議な味だった。そして再び唇にキスすると、激しく舌を絡ませあった。痛みから意識をそらさせる為だった。キスを繰り返す間、輝鋭は繋がったままで、1ミリたりとも動かそうとはしなかった。
「輝鋭クン。動いてもいいよ?」
 気丈にも結花の方から求めて来た。まだ痛みは退いていないはずなのに……。
「大丈夫か、結花?」
「多分、大丈夫……」
「ほいじゃあ、いくぞ!」
 輝鋭はゆっくりと腰を動かし始めた。笠の手前まで引き抜くと、今度は先端が当たるまで押し込んでいく。結花の腟内は一度押し戻したモノが、また入り込んでくるのに反応して、再び押し戻そうとグイグイと締め付ける。性行為に慣れていない女性の反応だ。逆に、それが輝鋭の快感を高めていった。
 輝鋭は結花から与えられる快感を味わい尽くそうと、抽送のスピードを徐々に上げていく。
「あっ、くっ……あんっ……」
 結花は痛みと快感の入り交じった声を上げる。だが時間が経つと、やがて痛みが治まって来たのか、それとも快感が勝ったのか、痛みを訴える刺々しい声を上げなくなっていった。それと同時に、結花の腟内も愛液をたっぷり分泌して、輝鋭のモノを包み込むようになった。
「あふ……あん、あんっ、くあんっ!」
 敏感に変化を察知して、溢れだす快感を享受する結花。
 さらに、いままで押し戻そうとして締め上げた壁の動きが、今度は飲み込もう、受け入れようとして締め上げて来た。もはや、輝鋭の動きを妨げるものは何もない。
 激しく分泌された愛液が、輝鋭の抽送運動と共に白く泡立ち、大きな水音を立てる。
 ――グチュッ。クチュ。クチャッ。
 輝鋭のモノが押し込まれる度に、先端がコツコツと子宮口に当たる。
「あん、いいっ。輝鋭クン、いいっ! もっと!」
 結花はもう限界に近付いていた。開いた足を輝鋭の腿に絡ませ、しっかりとしがみ付いて、輝鋭の動きに身を任せている。輝鋭も結花の締め付けに限界が近付いていた。先端の笠が開き始め、より一層壁との摩擦が大きくなる。摩擦によってかき出された愛液が、二人の股間を激しく濡らし、結花の破瓜の血と共に、シーツに染み込んでいく。
「結花。もうオレ、イキそうだ……」
「き、輝鋭クン、ワタシも……あっ、あん!」
 輝鋭はもうひたすらに腰を振る。限界はすぐそこだった。
「結花っ……結花っ……結花ぁ〜っ!」
「輝鋭クン。好き……好き……大好きぃ〜っ!」
『イクぅっ!』
 二人の声が合わさった時、二人は同時に頂点に達した。
 輝鋭がより一層深く腰を押し込み、結花の足が輝鋭の下半身を絡め取る。逃げられなくなった輝鋭のモノは、結花の腟壁によってギュッと締め上げられ、その腟内に迸る精を大量に放出した。
 ――ドクン。ドクン。ドクッ。ドプッ……。
「んふぅ……」
 結花はお腹の奥に感じる暖かい塊に、恍惚と感動を覚えていた。
 輝鋭のモノは結花の腟内でしばらく脈動を続け、やがて動きが止まると力なく萎んでいった。そして輝鋭自身もばったりと結花に覆い被さると、力を使い果たしてしまったのか、一切動けなくなっていた。そのまま荒い呼吸をしていたかと思うと、すーっと静まっていき、最後にはすうすうと、一定のリズムで繰り返される息が聞こえて来た。
 結花も興奮と身体の火照りでしばらくはボーッとしていたが、輝鋭の様子に気付くと下から肩を揺すり始めた。
「ちょっと輝鋭クン、重いよぉ! ねえ……寝ちゃったのぉ?」
 食欲を満たしたあとで、今は性欲を満たした。となると、体力を使い果たしたこれからは、睡眠欲を満たす番である。
 輝鋭は行為のあとの甘い言葉を、結花に掛ける事も出来ずに、一瞬にして眠りへと落ちていった。

              *      *      *

「ねえ、輝鋭クン。起きて! 起きてってば!」
 結花にゆさゆさと肩を揺すられて、輝鋭が目を覚ましたのは、既に4時半を回った頃だった。あのあと結花は、何とか輝鋭の下から這い出すと、少しならいいかと思って、輝鋭を寝かせておいたのだった。
「ぅん……。げっ! もしかして、オレ寝てた?」
「うん。起こしても、なかなか起きないんだもん」
 急いで起き上がると、結花が悲鳴を上げた。
「きゃ〜っ! 輝鋭クン、下……。パンツ、パンツ!」
 結花が輝鋭と結ばれた時は、ほとんど輝鋭のモノを見る余裕はなかった。だから初めて間近で見る輝鋭のモノに驚いたのである。
「わっ、本当だ!」
 慌ててTシャツと下着を着け、ベッドの脇に置いた眼鏡を掛ける。股の辺りが自分の精液と結花の愛液とで、パリパリになって気持ち悪かったが、そんな事は言っていられない。服も着ている余裕なんてない。
 急いで椅子に座って、パソコンをスクリーンセーバーから復活させると、第10章のファイルを開く。
 あれから眠っていたとはいえ、体力はほとんど回復していない。睡眠時間も中途半端だから、頭はボーッとしたままだった。
 しかし、それでも全力でやるしかない。幸いにして時間のロスは、計算より少し多いくらいでおさまった。結花との思い出の日にケチを付けない為にも、この仕事はやり通さなければならない。
 ――輝鋭はそう強く思っていた。
 文章を読み、修正をかけた9章の部分と見比べながら、構成を考える。
 そしてマシンガンタイピングで文章を書き換えていく。
 端から見ていると、輝鋭は完全復活したように見えるが、とんでもない。昼間よりももっと条件の悪い、仮充電状態なのだ。今はもう最後だから、あとの事は考えなくてもいい。その事が輝鋭に見えない力を与えているのだ。
 輝鋭が必死にモニターを凝視していると、結花がキッチンからお茶を持って来た。
「はい、お茶!」
「おおっ、ありがとう!」
 お礼を言ってカップを受け取る。どうやら寝ている間に作ってくれたらしい。それどころか結花だけは身なりがちゃんとしている。輝鋭のように慌てて服を着た様子もなければ、髪の毛だってちゃんとしている。
 輝鋭がお茶をズズッとすすっていると、結花が隣の椅子に座って、申し訳なさそうに口を開いた。
「あのね、輝鋭クン。ワタシ……輝鋭クンが寝てる間に、無断でシャワー借りちゃった。ゴメンね」
 ペロッと可愛く舌を出すと、ポリポリと頭を掻く。
「いいって、そんくらい。それより悪いな。バタバタしっぱなしで」
 モニターを見たまま、輝鋭は結花に謝った。自分がふがいないばかりに、素晴らしい思い出になるはずの初体験が、やりっ放しの放りっ放しで終わったのだ。もし自分が女だったら、さぞかし怒り狂った事だろう。
「ううん。いいんだ。何もかも全部含めて、輝鋭クンが大好きなんだもん!」
「そっか。ありがとな!」
 二人して見つめ合わずに、真っ赤になって照れている。たった1日だけでこんなにラブラブになれるのだから、恋愛とはものすごいものだ。
 輝鋭はよりいっそうスピードを上げて、修正作業を続ける。文章を読み、考え、キーボードを叩く。
 しばらく横で様子を見ていた結花は、キーボードテーブルにあったドロップの缶を取り上げると、カシャカシャ振って、中身をひとつ取り出す。指で摘んでそれを見た結花は、一瞬嫌そうな顔をすると、輝鋭に向かって差し出した。
「輝鋭クン。あ〜ん!」
「ん? あ〜ん……」
 輝鋭がモニターに向かったまま口を開けると、結花はその中に指で摘んだドロップをヒョイと投げ入れた。
「んむ……ミント味!」
「ごめんね〜! ワタシ、これ嫌いなんだ」
「いいさ。ちょうど良い目覚ましになるよ」
 輝鋭がそう言うと、結花は輝鋭の肩に手を乗せて、頬に軽くキスをした。
「てへへ」と照れながらもとに戻ると、もう一度缶を振って、ドロップをひとつ取り出す。今度はオレンジ味。出て来たものに納得すると、ポイッと口に放り込んだ。
 ドロップを二人で舐めながら、しばらくのあいだ時間は静かに流れていった。
 薄暗い部屋の甘い空気の中、エアコンとパソコンのファンと輝鋭がキーを叩く音だけが聞こえている。
 大人しく一緒に画面を見ていた結花が、おもむろに口を開いた。
「ふ〜ん。この二人って、結局くっつくんだ。まるでアタシ達みたいだね!」
「ははっ。そやな。オレはラブラブな話しか書かへんからな」
 少し照れたように言うと、結花がぴったりと寄り添って来て、輝鋭の腿に頭を乗せる。まるで男と女が入れ替わった、膝枕みたいな形。結花は輝鋭の作業が全て終わるまで、ずっとそのままの格好で過ごした。
「よ〜し。作業完了! まずは保存っと」
 書き上がったばかりのファイルを保存する。そしてメールソフトに切り替えると、作業完了の旨を書き、ファイルを添付して、送信ボタンを押した。これで本当に今日の作業が全て終わった。時間は午後5時50分。何とか時間内に片付ける事が出来た。
「輝鋭クン、おつかれさま!」
「うん。ありがと」
 輝鋭は結花を抱き寄せると、唇にキスをした。軽く舌を絡ませると、結花のオレンジ味と輝鋭のミント味が混ざりあって、新しい面白い味になった。恋愛もこんなふうに、二人の個性が混ざりあうから面白いんだろう。そんなふうに思っていた。
 唇を離すと、輝鋭は思いっきり欠伸をした。もう我慢しなくていいのだ。ゆっくり眠る事が出来る。
「くあ〜っ、もう限界だ。オレはしばらく寝るわ。結花もママが帰ってくるだろう。もう戻ったら?」
「ううん。輝鋭クンが眠るまでここにいるよ。帰るのはそれから」
「そうか。じゃあ、カギだけちゃんとしておいてくれな」
 輝鋭はそう言うとベッドに向かい、ようやく落ち着いて眠れる喜びで、ジャンプして布団に潜り込んだ。シーツはまだ少し湿っていたが、気持ち悪い感じはしなかった。逆に結花の匂いが染み付いていて、結花の体温まで感じられるようで、何だか嬉しかった。
 結花は輝鋭がベッドの潜り込んだのを確認すると、キッチンへと向かい、洗い物を片付け始めた。
 輝鋭がゆっくり目を閉じると、徐々に意識が薄れていく。その意識の遠くの方で、ジャージャーと水道の流れる音を感じていた。いつの間にかその音も聞こえなくなると、そのまま頭の中がブラックアウトして、深い眠りの中へと落ちていった。
 結花は洗い物の片付けが終わると輝鋭の側へとやって来た。
「輝鋭クン?」
 声をかけて様子を見るが返事はない。代わりに輝鋭の安らかな寝息が聞こえて来た。
(寝ちゃったんだ……)
 約束通り玄関に向かうとカギを掛け、自分の靴を持って再び輝鋭の側にやって来た。そしてベッドの横にしゃがむと、輝鋭の顔に近付き、唇におやすみのキスをした。
「おつかれさま。それと……ありがとう、輝鋭お兄ちゃん!」
 そう言うと部屋の電気を消して、静かにベランダから帰っていった。

              *      *      *

 輝鋭が三たび目を覚ましたとき、時間は午後11時半を過ぎていた。
 外も部屋の中も真っ暗な中で、パソコンのモニターだけが、煌々と光を放っている。
 ベッドから起き上がると、部屋の電気をつける。蛍光灯の光に照らし出された部屋は、結花のいた甘い空気がそのまま残っていた。
 大きく欠伸をしたあと、部屋の中を片付けようとした時、キーボードテーブルにお皿が乗っているのに気がついた。ラップが掛かったそれは、良く見るといびつな形をした3つのおにぎりだった。
 ――たぶん結花が握ってくれたんだろう。小さな手で、悪戦苦闘している様子が目に浮かんで、輝鋭はクスクスと笑い声を漏らした。
 そのお皿の隣には、ドロップの缶と、小さく折り畳まれた紙があった。開いてみると結花からの手紙だった。

『輝鋭クンへ。
 おつかれさま。
 8時に一度来ましたが、寝ていたのでそのまま帰ります。
 よかったら、おにぎり食べてね。
 P.S.ワタシ、まだ初潮来てないから安心してね。
 その2 冬休みになったら、いっぱいエッチしようね!

              輝鋭クンの彼女の結花より。』

 メモを読んで輝鋭は一安心した。
 一般的に、初体験の時には妊娠しにくいと言われているが、それでもあれだけの量を結花の腟内に出したのだ。もし初経後だったら、妊娠の危険があった事に変わりはない。明日の日曜、買い出しに出たついでに、コンドームを買っておこう。この分だと、クリスマスあたりでいっぱい使う事になりそうだし――。
 これからは結花の為にも、避妊はしっかりやろうと思った。
 輝鋭はメモを記念に残しておこうと、モニターの枠にテープで張り付ける。
 そしてドロップの缶を取ると、上下に振ってみた。カラカラと軽い音がした。数は少ないが残っているようだ。
 蓋を開けて、中から一個取り出してみる。カランと音を立てて出て来たのは、グレープ味だった。それを口の中に放り込む。
 輝鋭はドロップを味わいながら、結花の事を思い出していた。
 笑ったり怒ったり、拗ねたり甘えたり。いつも何が飛び出してくるか分からない。まるでこのドロップのようだと思った。それによく、甘い物は食べ過ぎると胸焼けするというけれど、甘い結花だったら、食べ過ぎても平気だろうとも……。
 輝鋭はドロップの缶を、キーボードテーブルの上に置くと、おにぎりの載ったお皿を手に取って、キッチンに持っていった。おにぎりをテーブルの上に置いて、冷蔵庫を確認してみる。中はほとんど空だった。
(こりゃ、晩飯はおにぎりとカップ麺やな……)
 おかずを諦めて、冷蔵庫を閉める。そしてキッチンから部屋に戻ると、クローゼットから下着とタオルを取り出して、本日二回目のお風呂に入る為にバスルームへと向かった。

 輝鋭は気付かなかったが、部屋の中に残されていたのは、結花のメモとドロップとおにぎりだけではなかった。
 パソコンがずっと稼動し続けており、スクリーンセーバーになってはいたが、バックグラウンドでメールソフトが動き続けていたのだ。
 その中には6時20分のタイムスタンプで、メールが一通届いていた。
 それは出版社の輝鋭の担当編集者からだった。
 その内容とは……。
『お〜い。あとがきはまだか〜!』
 ――だった。


 Sweet Drops! ― 完 ―


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