・スタディ!
・第2話 夏の日のこころ



 照りつける太陽。夏の日差し。そして夏休み。
「海に行くのって、すごく久しぶり……」
「うん。わたしも幼稚園のときに行って以来かなぁ?」
 夏休みなのに、5年生はみんな揃ってバスに乗り、とある場所へと向かう。美穂とあずさが隣同士に座り、何か楽しそうに話をする。
「プールは、毎年あるけど、海は毎年行かないもんね」
「うん。すごく楽しみだよね」
 賑やかなバスの中。みんなが目的地までを楽しそうに過ごす。
「何で海ってしょっぱいんだ?」
「さぁー。……誰か昔の人が塩をこぼしたんじゃないのかー?」
 和弥の後ろの席で、男子生徒がそんな話をする。その話が何か面白く、和弥も笑いながら聞く。
「塩を積んだ船が沈んだんだよ。知らねーのか?」
「うそつけー」
 ベタなネタだなぁ、とそれを聞いた和弥も思う。
「せんせー。海って何でしょっぱいんですかー?」
 と、後ろの子が聞いてくる。
「んー? あのな……」
 一応知識程度に知っている和弥は、それを簡単に説明する。生徒もボタンを押すフリをしながら「へぇー」という声を上げた。
 ということで、5年生の夏休みの一大イベント。臨海学校。世間がお盆休みに入る前の8月初旬。2泊3日の予定で、房総半島の海まで行って、ひと夏の校外学習をするのだ。
「……ということです。みんなで楽しい臨海学校にしましょう」
 3日間お世話になる民宿に着いて校長先生の話も終わると、生徒もいよいよ、という顔になる。
「じゃあ、次は籠原先生から」
 1組担任で学年主任の先生から促され、和弥が生徒の前に出る。和弥はいくつかの注意点を伝えた後、改めて生徒の顔を見回す。本当に、楽しそうな顔ばかり。あんまり話を長くしちゃいけないな、と思いながらも口を開く。
「えーと。みんなも海に入りたいでしょうが、先生たちも海に入りたいです!」
 というと、先生方がどっと笑う。なにせ、生徒の前に並んだ先生方の顔も、何かうきうきした感じだから。
 今回は、5年生の担任の先生だけでなく、校長や教頭、保健の先生はもちろんのこと、生徒の安全を守るためといろいろなサポートをするため、他の学年や専門科目の先生も来ている。
 参加する先生は先月の職員会議で決めたのだが、ここだけの話。実は毎年希望者が多くて、くじ引きで決めているのだ。
「今言った注意事項を守って、30分後。荷物を整理して、水着に着替えて、ここにこの状態で集合! わかった?」
『はーい!』
「はい! じゃあ、1組から部屋に移動!」
 男子と女子に別れ、それぞれの部屋に移動していく。5年生ともなれば、もはや男女別となって当たり前の年頃である。ちなみに、プールの着替えのときも、教室は男女別。
「よーし、4組男子は先生についてきてー。女子は、音楽の坂本先生について行ってー」
 うれしくてしょうがなくてはしゃいでいる男子生徒を和弥が引き連れて、部屋へと向かう。先生の部屋はもちろん別になっているが。
「じゃ、さっき言ったとおり30分後にあそこへ集合な。遅刻すんなよー」
『はーい!』
「先生もねー!」
 そう言った男子生徒を捕まえて、軽くじゃれる。実際のところ、和弥だって久しぶりの海。うれしいのだ。
 男子生徒は荷物整理もそこそこに、はしゃぎながら水着へ着替える。大胆に着替える男子生徒がいたりして、それこそ部屋は賑やかになる。そんなときに部屋の外を先生が通っても、先生は笑いながら通り過ぎる。多少の事は大目に見よう。というのが、臨海学校での先生たちの決まりなのだ。
 変わって、女子生徒の部屋。こっちは男子生徒よりかは多少おしとやかだが、それでもやっぱり賑やか。
「美穂ちゃん、なんだか楽しそうだね」
「うん。だって、海って久しぶりだもん」
 いつもおとなしい美穂が、今日は何かうれしさを振りまいている。美穂にとって、1年生以来の海なのだ。
 両親が共働きで、しかも父親が単身赴任でいないとなれば、なかなか遊びにも連れて行ってくれない。だから、この臨海学校がすごく楽しみだった。荷物の整理をしながら、なにか鼻歌が出てきそうな気分。
「あやちゃん。もう着替えるの?」
 荷物整理が終わっても話をしている子が多い中、隣にいるあやが服を脱ごうとしているのに気がつく。
「うん。だって、早くしないと時間になっちゃうよ」
 と時計を見ると15分前。5分前集合だから、確かに時間がない。
「そうだね。早く着替えよ」
 ひとりが着替えだすと、みんなが着替えだす。年頃の女の子だから、こういう場で着替えるのは何か恥ずかしい部分もあったのだ。
 美穂がシャツを脱ごうと袖に手を入れながら、隣のあやの方をちらと見る。あやは下半身はタオルで隠していたが、上半身は特に気にすることもなくTシャツを脱ぎ、少しだけ膨らんだ胸を見せていた。
(あやちゃん、結構大きくなってるんだ……)
 そう思いながら、反対側のあずさのほうを見る。あずさは、少し恥ずかしそうに胸元をタオルで隠していたが、そのタオルの間からやや成長をはじめた胸がちらりと見えた。そして、服の中にいれた手で、軽く自分の胸を触ってみる。
(……はぁ)
 まだぺったんこ。女の子らしく、ぷにっとしたような感じはあるが、それでも真っ平ら、としか言い様がない自分の胸。
(早く大きくならないかなぁ……。そうしたら……)
 少し悲しくなりながらも、美穂は手早く水着へと着替えた。


「じゃあ、海に入るぞー!」
『はーい!』
 和弥を中心に、6人くらいの生徒の班が輪を作る。その輪の中に、美穂もスクール水着姿でうれしそうな顔でいた。周りも水着姿の生徒がそれぞれ輪を作っている。見た目としては、ある種たまらない光景かもしれないけど。
「よし、じゃあみんなで手をつないで入ろうか」
 和弥の提案で、みんな一列で手をつなぐ。
「ほら、竹浦。手」
「え、あ、……はい」
 ふと気付けば、隣に大好きな先生。美穂も、ちょっとぎこちなく手を出して和弥と手をつなぐ。なんだかうれしくて、心もドキドキしてくる。
 反対側は男子生徒と手をつないで、みんなで波打ち際へ向かう。
「きゃー、冷たい!」
「わっ! つめてっ!」
 波が足にかかって、熱かった砂浜と逆に足に冷たい海の水を浴びせる。みんな久しぶりの海に、気持ちもうれしくなる。みんな手を離して、思い思いに海で遊び始める。
「うっしゃぁーっ!」
「きゃぁぁっ!」
 男子生徒が美穂たち女子生徒に向かって水をかける。ありがちな光景。
「あはははっ! やったなぁー」
 美穂たちも、お返しに水を掛け返す。和弥もそれを見て、なんだか楽しくなる。
「先生がいたーっ!」
 男子生徒の一人がそう声を上げると、男子女子混じって和弥へ水を掛け始める。
「おおっとぉ!」
 和弥もそれに返していたが、いくらなんでも6対1じゃ勝ち目はない。やられ放題やられて、返せなくなってしまう。
「ははははは、先生の負けー!」
「負けー!」
 そう言いながら、男子生徒の一人が和弥の背中に飛びつく。和弥も童心に返ってか、いたずら心がわいてくる。
「おーっと、倒れる」
 そう言って、和弥は後ろめりに倒れそうになる。
「えっ、えっ、マジで!」
 男子生徒は、あわてて飛びのく。
「ウソだ」
「あー、先生ウソついたー。ウソついたー」
 今度は、他の男子生徒も飛びついてくる。いっしょに、女子生徒も。美穂も、和弥に思いっきり抱きついてみる。
「ぬぅおっ……、お前ら重いぞーっ……」
 とか言いながら、和弥も6人引っ張って沖のほうへと歩いてみる。
 みんな一緒になって、久しぶりの海を楽しんでいた。


「オレ、たぶん蹴るから許して」
「蹴るのかよ。勘弁してくれよぉ」
 日が暮れて、就寝時間が近づくと。それぞれの部屋に自分たちで布団を敷き、それぞれが布団にもぐりこんでいく。ある生徒は端っこがいいだの、またある生徒は寝相が悪いから知らんぞなどといい、また賑やかになる。
「お、きれいに敷いてるな」
 和弥も自分のクラスの部屋を見に行くと、それぞれのポジションも決定し、だいたい寝る体制に入っている。無茶苦茶やったりしないか不安になったが、学級委員と班長がうまく統率を取って、きちんと布団が敷かれていた。
「せんせー。寝る時間が早いー」
「そうだよー。10時に寝るなんて早いよー」
 と、必ず不満を漏らす生徒がいるもんである。
「んじゃあ、いつも何時に寝てるんだ?」
「……10時半くらい」
「あんまり変わらないと思うけどなぁ」
 苦笑しながら、和弥は言う。
「でも、まだ眠くないよー」
「そうは言っても、決まりは決まりだからな。……ほら、酒井なんてもう寝てるぞ」
 まだ明かりがついているのに、部屋の端っこですでに眠りについている生徒。その隣の生徒も、早いなーという顔で見ている。
「うわ、けーちゃん早っ!」
「そういうことで、ほら、寝ろ寝ろ」
 和弥が手をパタパタと振ると、生徒もしぶしぶ布団に入る。
「じゃあ、電気消すぞー。おやすみー」
 就寝時間の10時前後に各部屋の電気が消されていく。賑やかだった部屋も、こそこそと話をする声がかすかに聞こえて来る程度。それでも、昼に海で存分に遊んでいたせいで、さっきまで眠くない、なんて言ってた生徒も次第に目を閉じていった。
「まだオレには仕事があるんだよなーっと……」
 生徒を眠らせても、まだこれから先生方の反省会と夜の見回りがある。首を横に軽く動かした和弥は、反省会のある部屋へと向かった。
 場所はちょっと変わって、女子生徒の部屋。電気も消えて皆が布団へ入り、部屋はこそこそと話をする声がする。
「それで、2組の大島さん、明日告白するらしいよ」
「へー。やっぱり、する人いるんだねー……」
 何人かの女子生徒が頭をつき合わせて、そういう話題で小さく盛り上がる。布団に入ったままうつ伏せでそんな話をしている風景が、何だか年頃の女の子らしい。
「なんだか、肌がひりひりするね……」
「うん、日焼けしちゃってるからね」
 美穂は隣のあずさと小声で話をしている。半日海で遊んだだけなのに、肌がけっこう焼けてしまった。日ごろから半袖の服を着たり、プールの授業があったりと肌はそれなりに焼けていたが、今日だけでさらに焼けた気がする。一応日焼け止めを塗っておいたのに、海で遊んだせいで取れてしまったようだった。
「でも、楽しかったよね。また明日もあるし」
「美穂ちゃん、すごく楽しそうだったよ」
 いつもおとなしい美穂だが、今日は笑顔いっぱいで楽しんでいた。
「それに、……籠原先生と同じ班でよかったね」
 あずさが急に小声で言う。運が良かったのか、大好きな先生とかなり触れ合えた。手もつないだし、同じ班の男子がやったのに乗じてちょっと抱きついたりもした。
「うん……。あずさちゃん、その、……他の人には内緒だよ」
「大丈夫。わかってるよ」
 あずさが優しく笑う。美穂もそれに笑顔で返した。
「ちょっと、しっ……」
 真ん中の布団の方でこそこそと盛り上がっていたところが、急に静かになる。かすかに聞こえる足音。
「先生の見回りだよ。みんな、寝よ寝よ!」
 突き出ていた頭が本来の定位置に戻り、布団に潜る。くすくすと笑い声が微かにしたが、それもすぐにやんで寝たふりをする。実際、本当に寝てる子もいるだろうけど、パッと見は一応みんな寝ている状態。
 ちょっとしてから部屋の扉が開き、女の先生らしき影が部屋を覗く。その影は、微かに入ってくる明かりでしばらく部屋を見渡したあと、静かに扉が閉まった。
「……ふー」
「行った……?」
「みたいだよ……」
 再びこそこそと話をする声。
「でも、もうそろそろ寝ないとね……」
「うん、明日もあるからね」
 そうして、みんな眠りについていく。美穂も次第にまぶたが重くなって、眠りへと落ちていった。
 ところが、もうすぐ日付が変わろうかとするころ。なぜだか知らないけど、美穂は目が覚めてしまった。
「……」
 周りを見ると、みんな眠っている感じ。隣にいるあずさも、規則的な寝息を立ててぐっすりと寝ているようだった。
「……」
 ころんと寝返りを打っても、再び眠くなりそうな気がしない。ひとり、目がパッチリと冴えて困ってしまう。
「ふぅ……」
 からだを起こして、改めて周りを見渡してみる。みんな、眠ってしまって起きているのは自分だけの様。困ったなぁという顔をする。トイレにでも行けば眠たくなるかなと思って、とりあえず部屋から出てみる。
 暗い部屋で足元に気をつけながら歩き、廊下へと出る。明かりがまぶしくて、一瞬だけ目を閉じる。
「はぁ……」
 ため息をひとつつく。このまま眠くなってくれたらすごく楽なのになぁ、と思う。とりあえず、用を足すだけ足して、再び部屋へと戻ろうと歩き出す。
「あら、美穂ちゃん? どうしたの?」
 ふと、見回りをしていた音楽の先生と出会う。美穂の困ったような顔を見てか、優しい口調で話しかけてくれる。
「目が覚めちゃって……」
「そう。眠れないの? じゃあ、ちょっと外に出て涼んでみたら? そこから、出ていいわよ」
 そう促されて、廊下の突き当たりにあるベランダへと出る。昼間の暑い日差しとは違って、夜の涼しい風が吹いている。
「しばらく、ここに居ていいわよ。眠くなったら、部屋に戻ってね」
 ベランダの段差にちょこんと腰掛けて、しばらく夜空を見つめる。都会じゃ見れない星空と、微かに波の音も聞こえた。ここに、大好きな先生が来てくれたらうれしいのになぁ、という思いが浮かぶ。
「よ。どうした、竹浦」
 突然、後ろからその人の声が聞こえて、美穂が驚いて振り向く。
「あ……、籠原先生……」
 優しい顔で笑いながら、和弥は美穂の隣へ座る。思わず、美穂の顔も赤くなってしまう。
「眠れないのか?」
「は……、はい……」
「そっか。じゃあ、眠たくなるまでお話でもしよっかね」
 大好きな人とふたりっきり。美穂の心臓がドキドキと高鳴り、すぐ隣に居る和弥にも聞こえてしまいそうに感じる。
「せんせい……、どうしてここに居るってわかったんですか……?」
「ん? あぁ、さっき、坂本先生が呼んでくれてな。お話でもしてあげてって。……邪魔だったか?」
「い、いえ。……すごく、……うれしいです」
「そっか。そういってくれれば、先生もうれしいな」
 和弥はそう言って、美穂の頭を優しく撫でてやる。そのせいで、余計に美穂の顔が赤くなる。
「お? 顔赤いけど……、どうかしたか?」
「あ、い、いえ……。大丈夫です」
 何とか心を落ち着けようと、すっと息を吸う。こんなことだけで赤くなってしまって、美穂にとっては恥ずかしい。
「……そうか」
 和弥も和弥で、以前から美穂に何か妙な違和感を感じている。他の子と同じように接しているつもりなのに、美穂に対してはなにか違うような感覚があるのだ。
(そんな気はないと思うんだけどなぁ……)
 そんな考えは後に自ら撤回してしまうのだが、今はそんなことないだろう、というのが和弥の気持ちだった。
 夜風に吹かれて、隣に居る美穂のショートカットの髪が、さらさらと揺れる。さっきはそんな気はないと思ったけど、こう見ると小さなからだの美穂がすごくかわいいかなと、和弥は感じる。
「……昼はけっこう暑かったのに、夜になると涼しいよな」
「はい、……そうですよね」
 こんなに近くに居るのに、たくさんいろんなことを話をしたいのに、ドキドキしてうまく話せない。だけど、近くに居てくれるだけで、美穂にとってはすごく幸せな感じがする。
「今日、楽しかったか?」
「はい、すごく楽しかったです。海で遊ぶのも、久しぶりだったし……」
「そうだよなぁ。先生も、大学2年に行った以来だったしなぁ」
 まだ大学生活を楽しんでいたころ。いろんなところに遊びに行ったし、いろんな経験もしたなぁと思い出す。
「大学生のころ、ですか……?」
「うん、サークルの友達とかな、……そのころ付き合ってた人とかとな。海行って遊んで、花火とかやったりな」
 あのころは、割と無邪気に遊んでたような気がするなぁ、と思う。今は今でそれなりに楽しいけれど。
「え、せんせい。いま付き合ってる人とかいるんですか……?」
 和弥の言った「そのころ付き合ってた人」というフレーズに引っかかり、美穂が聞く。
「あぁ、今は居ないよ。大学で忙しくなっちゃって、その人とは別れちゃったから」
 和弥がさっぱりとした口調で言う。今は付き合ってる人は誰もいないけど、それなりに忙しくて出来もしないだろうな、と思っている。
「そうなんですか……」
 美穂が、何か安心したような感じで言う。そして、そこから先、ひとつの言葉が頭に出てくる。……でも、それを口に出す勇気がまだなかった。
(まだ……、勇気がないよ……)
 夜空を見つめて、美穂がちょっと悲しい表情をする。
「ん、竹浦。どうかしたか?」
「……い、いえ。なんでもないです……」
 あわてて表情を戻し、にこっと微笑む。そのまましばらく、ふたりは夜空を見つめながら話を続けた。
 そうして気持ちも少し落ち着いたのか、ドキドキも治まって眠気も出てきたような気がする。
「……せんせい、……そろそろ、寝ますね」
「うん、そうだな。明日も早いからな」
 もう一度、美穂の頭をぽむっと撫でて、立ち上がる。
「どうも、……ありがとうございます」
「いんや。どうしたしまして」
 優しい顔の和弥を見て、美穂は改めて思う。この人が大好きなんだなぁと。
 そして和弥も、にこっと微笑んだ美穂の顔を見て、ひょっとしたら、……なんていう思いを持っていた。



小説のページへ