・くりえいた〜
・プロローグ



「博樹お兄ちゃん、起きてよ〜。博樹お兄ちゃ〜ん」
 朝7時。とある賃貸マンションの一室。ベッドの上でグースカと寝ている青年を、女の子が困った顔で揺する。身体を揺すられた青年はものすごく眠たそうに目を開けながら、焦点の合わない視線で女の子の方を見る。
「……ん〜? 今何時だ……?」
「7時だよ〜。朝ご飯出来てるから早くしてよ〜」
「……わーった。……今起きる」
 青年はベッドから体を重そうに起こすと、メガネをかけてフラフラとリビングへと向かう。そう広くない賃貸マンションの、少し手狭な感じがするリビングのテーブルについて、ため息のような息を大きく吐く。
「ふーっ。……ねみい」
「昨日何時まで起きてたの?」
 女の子が、トーストをかじりながら聞く。
「……3時半か」
「もー、お仕事大変なんだろうけど、夜更かししちゃだめだよ」
 母親が小さい子供に諭すような口調で、女の子が青年に対して言う。
「……なんで、24歳の男が11歳の女の子に説教されなきゃいけないんだか……」
 まだ目が覚め切って無いような顔の青年は、なんだか気が抜けたように頭を落として、半ば諦めの声で言う。
「博樹お兄ちゃん、今日は?」
「休み……のはず」
「じゃあ、1日家にいる?」
「……もう一眠りして、昼頃に事務所までちょっと顔出してくるよ……。3時までには帰ると思う……」
「うん、わかった」


 そもそもふたりが出会ったのは今年の春の話になる。上川 博樹(かみかわ ひろき) − このメガネをかけた眠そうな表情の青年 − が、この賃貸マンションに引っ越して来た。
 博樹の職業はゲームクリエイターで、いわゆるゲームの企画を出したりシナリオを書いたりする仕事をしている。子供の頃からゲームに興味があり、地方の高校を卒業後に上京して専門学校に入った。才能を発揮してトップクラスの成績で卒業し、当時はまだあまり有名ではなかった「PAC−2」というソフトハウスに入社。今でこそ知られるメーカーとなり、ストーリー性重視のギャルゲーメーカーのメンバーとして、少しだけ名が売れ始めた。
 博樹の隣室に住んでいたのが、この女の子。三嶋 あずさ(みしま あずさ)。マンガ・アニメ・ゲームが好きな小学5年生の女の子。隣に博樹が引っ越してきてからお互いを知るようになり、博樹がゲームクリエイターで、マンガやゲームをいろいろと持っていることを知るとほぼ毎日の様に入り浸るようになり、すぐに仲良くなった。
 肩くらいまでの髪に、背も年頃では平均的な、割とかわいい感じの女の子。博樹も、ふとしたきっかけで仲良くなったのだから、別段気にすることなくあずさと遊んでいた。
 ところがこの8月、ちょっとした異変が起こった。あずさの父親が、会社をクビになったのだ。それも、しょうもない理由で。

「博樹お兄ちゃん。うちのお父さんが、お話があるって」
「は? お話?」
 初めに忠告しておけば、この時点では博樹とあずさには、まったく持って「関係」も無ければ、お互いにの気持ちも通じて無かった。ふたりの内々の気持ちはともかく、表向きは、単なる仲の良い隣人同士だったのである。
「上川さん、折り入って相談がありまして」
「は、はぁ」
「うちのあずさを、しばらくの間預かっていただけませんか?」
「……は?」
「わたし、1週間ほど前に会社から解雇を言い渡されまして。しばらく妻とふたりで全世界を旅行しようかと思いまして」
「……はぁ。……は? リストラ、ですか?」
「いえ、ちがいます。単純に、クビ、なんですよ。お恥ずかしい話」
「…………」
「実は……。趣味でやっていた株で儲けすぎまして……、仕事の方がおろそかになってしまいまして……」
「こ、この不況下に、会社をクビになるくらい株で儲けすぎたんですか?」
「えぇ」
「どう言う手段を使ったんですか?」
「……秘密ですよ。そこで、ずいぶんお金がたまって困ってしまいまして……。旅行に行こうとおもってるのですが、半年ほど、娘を預かっていただけませんでしょうか?」
「は、はぁ」
「あずさも、上川さんにずいぶん懐いている様ですし、上川さんなら保護者の代わりになるかと……。……この際、多少のことは目をつぶります」
「は、……は?」
「あ、まそういうことで」

 これが、理由、である。
 そういうわけで、夏休みが明けた頃から、博樹の部屋にあずさが居候している。あずさは家事全般そつ無くこなすので、博樹としても大助かりなわけだが、いかんせん、小学生にやらせるのは少々負担がきついかもしれないのが難点だ。
 おまけに、ゲームクリエイターと言う特殊、かつ、不規則な仕事であるために、あずさを家にひとりで居さすこともある。けれど、今は夏に新作が出たばかりなので、博樹も充電期間が当てられ、ほぼ自由出勤と化していた。

「ただいま〜!」
「ん〜、お帰り」
 夕方の4時前に、あずさが学校から帰って来る。博樹の部屋と廊下を挟んだ6畳間に、あずさの部屋が作られている。あずさはかばんを自分の部屋に置くと、博樹の部屋へと来る。博樹の部屋は8畳間にベッドとパソコンが2台ほど並び、さらに机がおいてある。棚やラックにはたくさんのPCゲームや資料、マンガなどの本が並んでいて、きれいに整理されているものの、やや狭い感じを受ける。
「おかえり。おやついるか?」
「うん。それと、博樹お兄ちゃん、今お仕事?」
「いんや、今は全然ヒマだな」
「じゃあ、ゲームしようよ」
「ん、わかった」
 机に向かってラフスケッチを描いていた博樹は、スケブを閉じるとあずさと一緒にリビングへ向かった。
「ねえ。今日は、何しに行ってきたの?」
「ん? 事務所か?」
「うん」
 博樹が電気ポットからお湯を注ぎ、紅茶を作りながら言う。
「7月に発売したやつがどんな感じか、動向聞いてきた」
「それで、どうだったの?」
「9月に入ってからも順調。オレのシナリオ、結構ウケがよかったらしい」
「そうなんだ。よかったね」
 それを聞いて、あずさがにこっと笑った。
 博樹は、入社してからしばらくは雑務や他のメンバーの仕事の補助を中心にやり、シナリオのちょっとした脇道やおまけを作っていた。正式に開発室に配属されて主戦力になり、前作のおまけシナリオを担当。そして、7月に発売したゲームのメインシナリオを任された。
 4月に今まで住んでいた狭いアパートから、この賃貸マンションに移って来ることが出来たのは、給料が上がったおかげでもある。在宅勤務も一応出来るのだが、博樹は事務所に行く事の方が多い。
「さ、なにやるんだ?」
 博樹がテーブルの上にミルクティーとお菓子を置きながら言う。
「ぷよぷよ」
「相も変わらずかい」
 あずさは、接続してあったPS2を外すとスーファミを接続して、カセットの入っている箱から初代ぷよぷよを取り出した。テレビの周辺には、これまたきれいにPS、PS2、DC、スーファミ、さらにはファミコンまでもが置かれている。博樹曰く「ロクヨンとサターンは売った。サターンは金にならんかった」そうだ。
「今度は負けないからね」
「望むところだ」
 ふたりの格闘が、今始まった。


「ごちそうさま」
「はい、お粗末さまでしたー」
 ぷよぷよで2時間ほど格闘後、ふたりで買い物に出かけ、夕ご飯を作って一緒に食べる。それがここのところの日課になっている。それぞれが夜を過ごし、10時半を過ぎるとあずさの目がとろんとなっている。
「博樹お兄ちゃん。……わたし、眠いから寝るね……」
 机に向かってラフスケッチを描いている博樹に、あずさが目をこすりながら言う。
「おう。眠いんなら、あんまり夜更かしするなよ」
「うん。……それは博樹お兄ちゃんもだよ〜」
「あぁ、そうだったな」
「うん……。じゃあ、おやすみ……」
「ん、おやすみ」
 こうして、それぞれの部屋で床につく。博樹も、今日は早く1時には布団の中へと潜った。
 しばらくの間、こうしてふたりの生活が続くのだが、やがてふたりの生活に変化が訪れる。新進気鋭のゲームクリエイター博樹と、小学生あずさの少し変だけど楽しい生活が、これから始まる。



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